S o n g s





 HORIZONTE

Horizonteによせて By Salt



前作「約束の場所へ」から6年。ついに3作目「Horizonte」が完成した。


他にも数曲録音したが、最終的には12曲に精選した。


最新作こそが最高傑作であるように・・・・・


そんな願いでこれからも作品を作っていきたい。


1. Horizonte



前作「約束の場所へ」のジャケット撮影で訪れた三重県の海辺の光景が強く印象に残っていた。
ジャケット撮影だからこそ「海に向ってギターを弾く」という日常的ではない演出を試みたわけだが
実際にギターを弾いていると、波の刻むリズムや音色がギターのそれと溶け合って実に心地よかった。
そして、海の彼方の異国にも、自分たちと同じように水平線を見つめてギターを弾いている人が
いるような気さえしてきた。「群れのなかまと孤独を分け合って」というカモメにあてたことばに
私の小さな希望がある。孤独を知ることは寂しさではない。



2. 海が見たくて



伊勢志摩のリアス式海岸には、いくつもの灯台がある。時々海が見たくなるとバイクや車を走らせる。
奈良県民はただ海を見ただけでテンションがあがるのだ。
疾走感のあるギターで、信号や渋滞に煩わされずに走る心地よさを表現した。
何となく曲を聴きながら、車窓の景色を楽しむように歌詞を追っていただけると嬉しい。
「明日はきっといい日にかわる」は凡庸なフレーズだが、「昨日も〜」となると
これは簡単なことではない。難しいことは言いたくないけれど、「ありきたり」では終わらせたくない。

3. よその国の畑で



2本のギターが自然に絡まり合う中に、チェロをどう調和させるかが課題だった。
自分の頭の中に鳴っている音は、最小限の音数とシンプルなリフレインの中で表現できたと思う。
歌詞も歌だからこそ伝えられるギリギリのメッセージなんだと思う。
音楽抜きでこんなことをぼやいていたら、自分でもちょっとメンドクサイ気がする。
これもS&Uにとってボサノヴァの新しいかたちだ。

4. 赤い傘



かつてライブの依頼をいただいたお店のオーナーが、英文学がお好きということで
物語風の曲を作ってみた。ショビシュバという雨音にも似た独特のコーラスをギター&フルートと
ユニゾンさせて、少女が感じているであろうと主人公の男が想像する町の風景を描写した。

5. 最後のピース



Uribossaが高校時代から温めていたアイデアと曲が長い時間をおいて熟成され、かたちになった。
スローなバチーダにAOR風のバッキングを重ねたのは、地味ながらかなり大胆な試みだった。
2本のギターが追いかけたり重なったりしながら、バチーダの枠の中でパズルのピースのように
歌詞世界を広げていく。

6. KIZUNA



東北での震災、原発事故のあと、「絆」ということばがにわかに流行したが
その風潮には何とも言えない違和感があった。
「なぜこんなことになったのかを問うこと」よりも、「現状を回復すること」が優先されるのはわかる。
しかし、耳障りのいいことばで、問題の本質をすり替えるのはおかしい。
この国の在り方や選択に対して責任を負うのは、政治家や電力会社だけではないはずだ。
そして、非常時に音楽ができることなど何もないようではあるが、逆に音楽にしかできないこともある。
そんな思いを曲にした。

7.



私が翼くんと出会ったのは、彼が小学校3年のときだ。高機能自閉症という診断名が
与えられていた翼くんは、定型発達の子どもたちとは時間や空間の捉え方も違う。
翼くんの持っている素敵さは、学校的な価値観や現在の世の中の多数決のものさしでは
決して測れないので、逆に翼くんのものさしで周辺を測り返すような歌を作ってみようと思った。

8. ラブソングなんて歌わないで



私の作る曲には殆ど関心を示さない妻が、ある時何を思ったのか
「ええ年してラブソングなんか歌わんとき。もっとしっかりしたテーマの気の効いた曲も作れるやろ」
と言い出した。ひねくれ者の私は、このエピソードをネタにして曲を作ってやろうと思い立った。
ユニゾンを多様したボーカルも、間奏のテケテケしたノスタルジックなリードギターも、
往年の昭和歌謡を意識した。

9. 少年



20代に上梓した詩集「生贄たちの墓標」の中の一編に加筆して曲をつけた。アルバムのアクセントに
なるよう曲はワルツにした。当初は全編チェロを入れる予定だったがグッとこらえて間奏だけにした。
「風のメロジア」に収録した「Dois Mapas」や「約束の場所へ」に収録した「少年樹」につながる
私の詩作にとって大事なテーマを取り扱っている作品だ。

10. 冬ノオト



時々、女性目線の曲を作りたくなる。艶っぽい歌詞を淡々と歌うのも嫌いじゃない。
でも、本当は美しい女性の声で歌ってもらいたいという願望もどこかにある。
(どこかに私の声の代わりをしてくれる女性はいないかな・・・・・)
ヴォーカルは淡々として歌い上げない分、フルートにしっかり表情をつけてもらった。
雪景色のすべてを飲み込むような静けさが極上の音楽に思えるときがある。

11. 星の王子さま



日仏協会関連のコンサートに招かれたときに、何かメインになる曲を探していた。
いろいろ考えた末、サン・テグジュベリの「星の王子さま」を題材に、子どもというよりは
子どもの世界を守るべき大人のための曲を作ることにした。
単純に「昔はよかった」と言うつもりはないし、世代間のギャップを表現したのでもない。
大人たちが良かれと思って選んで作ってきたこの世界で、今、子どもはさほど幸せではない。
これが現実だ。(もちろん、かつての子どもがそんなに幸せだったわけでもない)
ただ、ひとりひとりがどこで何を失ったのかを考えるきっかけになればと思っている。

12. おやすみ



「風のメロジア」も「約束の場所へ」もタイトルナンバーをラストに配置したので
今回はちょっと違った構成にしようと思い、締めくくりを意識して作った曲。
私もUribossaも猫を飼っている。猫はただそこにいるだけでいろんなことを教えてくれる。









 約束の場所へ

制作の想い By Salt



何が本当で何が嘘なのか、あらゆる情報が混濁する中、やはり聖書の中にある約束こそが


真実であることを再確認しつつ、今、私自身から始まる「約束の場所へ」と向かう希望を私なりのかたちで伝えたい。


そんな思いがいっそう強くなった。何としても今年中に・・・。そんな思いでCDを制作した。


一曲一曲の中に、この時代を共に生かされてきた家族や友人や子どもたちへの思いがいっぱい詰まっている。


罪にまみれ、傷ついた大地に立ち、涙を流しながら歌う歌だからこそ意味があると信じている。


被災された方々、大事な人を失った方々にも届いて欲しい。


約束の場所にたどり着けば「~へ」は消える。今歌う歌は、「今」しか歌えない。


1. Amore e Paz



Amore e Paz は、love &peaceのこと。「愛と平和」は普遍的な歌のテーマだが、
誰も否定しようのないスローガンほど、滑稽かつ危険なものはない。話が抽象的で雑なものになるからだ。
話が細かく具体的になればなるほど何が正しく何が立派かなんて、誰であれ簡単に断言できることではなくなってくる。
でも、取りあえず誰だって親しい人の笑顔は見ていたいだろうし、気まずい関係の隣人との仲直りも悪いことじゃないと思う。
そんな私なりの小さな愛とささやかな平和を歌うことにした。
この曲は、Salt & Uribossa の初の記念碑的な共同作品だ。二人でハモったり、交互に出てきたりして絡む楽しさは
ソロ時代には味わえなかった。そんなわけで、中年男が二人で「いい感じ」を連呼しているわけだが、
Puffy とはかなり違って聴こえるはず。



2. Sonho



ひねくれ者の私にとって、「夢はかなえるためにある」なんていうのは、一部の成功者の戯言のように聞こえる。
そうでなければよほどおめでたい人の単純な夢なのかなと訝ったりしてしまう。
精神分析的な意味での「夢」にしたって、断片を再構成したり、言語化したりすれば、もうそれは無意識ではないし、
誰かが見たままの純粋な「夢」とは違う何かに変質している気がする。
それでも「夢」というのは気になることばだ。ポルトガル語の夢を意味する sonho という響きがとてもやわらかくて、
それだけで曲になると思って私なりに「夢」をかたちにした。
今回のアルバムのひとつのテーマは「喪失感」である。大きな喪失を経験した方々にとっても、
繰り返し聴くに堪えうる歌であって欲しい。失うことによって、より深く確かに心に刻まれるものもある。
新たに生まれる希望もあると信じている。サビの部分のコーラスとフルートの絡みは、交錯する「夢」と「うつつ」を
行き来するイメージを表現してみた。

3. Janela 〜窓〜



根っから社交的な人なんて、実はそんなにいないんじゃないかと思っている。私もできれば自分の部屋でずっと
引きこもっていたいタイプである。そんなわけで、「いつか引きこもりをテーマにした曲を書いてみたい」と思っていた。
閉ざされた部屋の中で一時期を過ごすことがあったとしても、人生のトータルからすると大した時間ではないし、
外の世界がそれほど充実しているわけでもない。ただ自分の部屋に少し大きめの「窓」があるかどうかということ、
「窓」のむこうに光を感じることができるかどうかということなどが結構大事なんじゃないかと思っている。
窓際には地味なサボテンの鉢植えなんかが置いてあることが望ましい。
トリッキーなコーラスと、シンプルでリリカルなギターはイメージ通りに録音できた。
この曲を絶賛してくれた Itaminho のパーカッションが、絶妙のタイミングで重なり、サウンドに深みを与えてくれている。

4. Negai



ランナーでもある Uribossa による作品で、自宅周辺の土手や、自然豊かな山道をランニングしながら浮かんだイメージを
もとに作られた。恐怖から逃れ何かに追われて走らされるのではなく、「ただ走ることを楽しむために走れる幸い」を
かみしめながら、「同じ地球に住むすべての人や地域に本当のやすらぎがおとずれるように・・・・」という Negai が
静かに謳われている。
2本のギターのバチーダが、ゆったりとした歩幅で生かされる歓びを踏みしめる足音に聴こえてくれたら嬉しい。
フルートのパートは当初チェロをイメージしてアレンジしたのだが、そのままフルートで演奏してもらった。
フルーティ菅野の味わい深い音色が、森の静かな躍動感を醸している。

5. Pure Silk



奈良市法蓮町にあるカフェテラスNZのイベントをずっとプロデュースしてきた。
さすがに今の時代、障害のあるお客さんに「出て行け」というお店はないと思うが、だからといって彼らが
本当にのびのびと自分自身でいられて、なおかつ、健常者と一緒に音楽を楽しめるようなスペースはそれほど多くない。
カフェテラスNZは、そんな数少ない貴重な空間なのだ。オーナーの真絹ちゃんにも障害があるが、そのハンディキャップを
豊かさに変える生き方を実現しているのが実に素晴らしい。真絹ちゃんとそのご家族に出逢えたことは、私の人生にも彩りを
加えていただいている。そんな真絹ちゃんへの感謝に気持ちを込めて贈った曲。
タイトルの Pure Silk は真絹の英語読み。彼女が熱中しているさをり織のイメージを音にした。
2本のギターが縦糸と横糸のように絡みあって曲を織りなしている。

6. あなたがくれた花束はもう枯れたよ



私の大切な友人である Koji & Mayumi の為に作った曲。劇的な出会いの末に結ばれたふたりは、
幸せの絶頂の中で双子の赤ちゃんを授かる。しかし、事態は思いがけない展開になる。
残念なことに、元気に生まれてくるはずだった子どもたちはお腹の中で次々に亡くなってしまう。
彼らの深い悲しみは癒し難く、適切な慰めのことばも存在しない。友人としてできることなんてほとんど何もないと
言ってもいい。そのどうしょうもない気持ちと祈るような思いをそのまま無理やりかたちにするとこんな曲になった。
妙な歌詞も、繰り返す転調も、その時の私の心情に馴染む唯一の表現だったのかも知れない。
Itaminho のクールなパーカッションが曲を支えてくれている。

7. 星の雫



天体には詳しくないが、それなりに星を見た思い出はある。
これまでの経験では、知床とモンゴルで見た星がとりわけ美しかったが、いずれも一緒に眺めたのは男だった。
それでも「一緒に星を見る」という共有感覚がとてもいい。大勢の仲間と一緒だったり。親しい友人と一緒だったり。
妻と一緒だったり。子どもと一緒だったり。一緒に見る相手によって共有する感覚も少しずつ違う。
しかし、いずれにしても、満天の星空や流れ星を饒舌に描写することばなんてそんなにたくさんない。
宇宙のスケールが小手先の表現を締め出してしまうからかも知れない。だから、星を歌う歌詞は野暮ったくても
十分なのだ。かなり凡庸な歌詞に、ゆったりとしたリズムで、十分に歌いこなすのが難しい曲だが、
歌の表現力の不足をフルートが補ってくれた感じだ。おかげでしっとりとした雰囲気だけは出せたと思う。

8. NEWS



「アースデーならSouth」の為に作った曲。
いろんなニュースに当事者と同じように共感することなんて出来はしないが、どんなことに対しても決して無関心では
いたくない。虚実ないまぜに膨大な情報が溢れかえる今日、真贋を見極める眼を持つことはそう簡単なことではないだろう。
しかし、私たちはみなそれぞれに思わぬところでつながって支え合って生きていることだけは間違いない。
分析したり、評論したりすることよりも、目の前のひとつひとつの出来事と誠実に関わることが大切なんだと思う。
ここ数年、ライブの終盤でお客さんと一緒に歌ってきた曲だ。アルバムでは、私のもうひとつのユニット「Prune」 の
SueちゃんとMomoちゃんにコーラスで参加してもらった。

9. Interludio



「NEWS」と「かめさん」をつなぐ小品。
練習の合間に私が何気なく弾いた手すさび的なフレーズに Uribossa が絡む。
この曲を録音している時、17曲のドラマを作っているんだなあと実感したものだ。

10. かめさん



既存のどんな曲にもあまり似ていない曲を作りたいと思っていた。
歌詞世界も曲もアレンジもちょっとどころか、かなり変わったものにしたかったのだが、そんな当初のねらいは
達成できたと思う。良いか悪いかは別として、どんな曲にもあまり似ていない変わった曲にはなった。
大阪のおばちゃんは、飴に「ちゃん」をつけたがるが、「かめ」や「ぞう」には「さん」がよく似合う。
歌詞カードにならぶ平仮名の歌詞も眺めるだけでおもしろい。内容については、自由に解釈していただけたらと思う。
最初から最後までたくさんのパーカッションが入っているが、Itaminho ひとりでは演奏しきれないので、
S & U もお手伝いをして参加している。録音が一番楽しかった曲だ。

11. 少年樹



橿原市葛本町に「植物屋・風草木」というお店がある。
オーナーの Junpei 君は非常に面白い人で、ソロ時代からお店でライブをさせてもらったり、一緒に海に潜ったり、
植物を使ったワークショップをしたりして遊んで来た。Junpei 君との出逢いもあって、「少年のからだから
植物の芽が出て育っていく」というイメージを元に何枚も絵を描いた。
この曲は、Junpei 君と植物との関わりを、私が出逢って来た多くの子どもたちの記憶の中に取り込んで作った。
歌詞世界も曲調もかなり風変わりなものになっている。フルートやパーカッションが目立つ今回のアルバムの中では
珍しくS & U のスタイルの原型でもある「Uribossa のギターにのせて Salt が歌う」というシンプルなものだが、
多分「何かが足りない感じ」はないと思う。

12. 面影



私の作る曲には、たいていモデルがいて、それにまつわるドラマがある。
又、曲のメッセージを伝えたい具体的な相手が存在する。「面影」は、まさしく歌詞にあるとおりの会話が
そのまま元になって出来た直球ド真ん中の曲。結婚のお祝いのつもりだったので全くひねり無し。
歌の主人公である彼女は、アルバムを受けとって歓びの声を届けてくれた。その時はすっかり新生活にも慣れて
お腹には赤ちゃんが・・・。リリースに手間取ったので、当初の予定よりはプレゼントするのが遅れてしまったのだが、
この曲がよい胎教になれば嬉しい。

13. Perdicao 〜喪失感〜



Perdicao は、このアルバムのテーマのひとつである「喪失感」を意味するポルトガル語。
Uribossa が友人の失恋を題材に作った曲。前作「風のメロジア」の Voce の流れを汲む作品だが、一段とことばと
メロディの一体感が増しているように思う。愛する人を失った悲しみが折り重なるように迫ってくる感じを、
歌の隙間に絡むギターで表現したかった。
つらい時には、無理に気持ちを持ち上げるのではなく、一度その時の気持ちと向き合っていくことが大切で、
自分の気持ちを代弁してくれるような音楽に触れると、音楽療法的な効果があると考えられている。
これを「同質の原理」と言ったりするのだが、この曲も、このアルバム全体も、この時代に日本で暮らす
私たちにとって同質性の高いものでありたいと願って作られたものだ。

14. Fragile



ビートルズのリマスター版が発売され、久しぶりに全アルバムを聴きなおす機会を得た。
さらにビートルズサウンドの鍵を握っていたプロデューサーのジョージ・マーチンが書いた「耳こそはすべて」という本も
読んで、改めてビートルズの残した作品のクオリティーの高さとその後のミュージックシーンに与えた影響の大きさを
クールに見つめ直し、彼らへのリスペクトを S & U なりのかたちで表現してみたいという欲求にかられた。
アースデーのパフォーマンスの為の新曲も欲しかったので、「こわれものとしての地球」をテーマにして、
ビートルズの音やことばのエッセンスを散りばめることにした。
ビートルズに思い入れのある方にはニヤリとほくそ笑んでいただける作品だと思う。

15. 眠れない夜に



妻や子どもがいることで自由は制限され、行動の選択の幅が狭まるのは当然のことだが、実はその細くて狭い道こそが、
与えられた自由によって自ら選択した人生なのだ。結婚し子どもが出来、家族が増え年数を重ねるほどに、
悩みや心配事も増える。しかし、ひとりきりで生きていたなら、気持ちも萎えてしまったり、脱線しかけたりする時、
踏み留まって巻き返す力を与えてくれるのも、妻や子どもである。自分の為なら「これ以上はもう無理」という時でさえ、
大切な誰かの為なら、なぜかもう少しだけがんばれたりする。そんな思いを Uribossa とメールで何度もやりとりして
分かち合った夜に作曲した。

16. 潮騒



海の無い奈良で暮らしていると、無性に海が恋しくなるときがある。
幼い頃、海辺で過ごした思い出は私の心の中に確かに刻まれていて、そうした記憶が曲づくりの時には鮮やかに
よみがえってくる。311の原発の事故によって、大量の汚染水が海に流れ込むことになったが、
私はこの出来事に対する悲しみや怒りを曲にしたいと思った。
直接的に原発や放射能をイメージさせることばを入れることも考えたが、最終的にはそれをほぼ除くかたちで完成させた。
フルートの旋律がうまくことばにならなかった思いを表現してくれているので、ただの海辺のラブソングではない何かを
感じていただけると思う。
S & U は「 Uribossa のギターに合わせて Salt が歌う」というかたちでスタートしたが、「潮騒」では、その逆を試してみた。
最後のスキャットで、ひかえめながら「ウラン、ウラン」と連呼していることに気付いていただけただろうか。

17. 約束の場所へ



Prune のケーナ奏者でもある Sueちゃんの本業は、大阪玉造で織工房「アトリエSUYO」を構える、
さをり織アーチストである。そんな Sueちゃんの織りの個展の為にプレゼントした曲。
直接的には Sueちゃんへのメッセージなのだが、聴いてくださった方がそれぞれに自分の体験や想いを重ねることが
出来るような含みを持たせた歌詞をつけた。このアルバムのタイトルナンバーとして、他の16曲をつなぐ要のような
役割を果たしている。
「約束の場所」は、単に「此処ではではない何処か」ではなく、「此処から始まる彼方」であり、確実な希望であって欲しい。
そして、どんなに絶望的な瞬間でも、約束の場所「へ」という強いベクトルが生きる力に変わると信じている。
 
 
 



 風のメロジア

収録された12曲に寄せる想い By Salt



「風のメロジア」Salt&Uribossaに収録された12曲は、すべて2008年に作られている。


どの曲も、生まれてくる必然性があってかたちになったものだと思っている。


音源になったものが全てであって、それ以外の注釈なんて本当は要らないのかも知れないが


作り手としての想いを汲んでいただけたら幸いである。


1. Esteja perto de Mim


「カンボジア子どもの家」代表の栗本英世さんとの付き合いは、もうずいぶん長くなる。
一緒にいくつものイベントを開催した。彼を通して、カンボジアにおける人身売買や
臓器移植の話を聞かされて大きな衝撃を受けた。(「映画「闇の子供たち」はこの問題について取り上げている)


カンボジアに必要なのは物やお金ではなく教育だと言う。彼は企業や団体に頼らず、あくまでも個人の力で
継続できる支援を呼びかけ続ける。そして、現地の人が自ら立ち上がる力を持てるようにひたすら学校を作るのだ。


栗本さんは言う。「困っている人を簡単に助けちゃいけない。ボランティア活動が助ける側の人の
自己満足になってはいけない。その人のことを本当に大事に思うなら、ただそばにいてあげて欲しい。
そして一緒に涙を流して欲しい」と。


私はそのことばにリアリティーを感じ、この曲を作った。あえて軽く聴き流せるラブソングにした。
「Esteja pert de Mim」は、「そばにいてほしい」の意味。そばにいてほしい相手は誰でもいいわけじゃない。
どこの誰かもわからない相手からお金や物が届くだけというのは、「愛」とは関係がないように思うのだ。
「愛するということは、その対象に対して何らかのリスクを負うこと」だからだ。


かといって、誰かに何かを説いて聴かせる気はない。そんな歌じゃない。その人なりのラブソングとして
聴いてもらえたらそれでいい。気持ちよく聴いていただければ十分。



2. あなたに逢いたくて



「揺れる女心を歌うこと」には昔から興味がある。


演歌には「耐えます」「偲びます」という継続的な悲しいあり方を歌うものが多いけれど、
そういう粘っこい歌ではなく、もうちょっとスピード感があり、ドキドキワクワクするような
心の動きを「さらり」と歌いたかった。


イントロなしで始まるのも、途中のポルトガル語の歌詞もそうした効果は上げていると思う。
出来れば、本当は若くて可愛い女性に歌ってもらいたい。


実は、福岡在住のある女性のために作った曲。(特に私と深い関係にあるわけではありませんが・・・)

3. Sorri



人を励ます柄ではないけど、ライブに来てくれた方が、「癒されました」「元気が出ました」と
言ってくださることは少なくない。こういう感想をいただくと、とても励みになる。


聴いてくれる方がおられなくても、自分ひとりでギターを弾いたり歌ったりしていると、
気持ちが落ち着いたり、すっきりしたりすることがよくある。やさしい表現を作ることで、心まで変わっていく。


世の中はますます暗くなっても、明日を信じて微笑んでみるという姿勢は大切だと思っている。
子どもに笑顔が似合うように、もっと笑顔が似合う大人がいてもいい。


微妙な半音の動きやUribossa氏とヴォーカルで絡むところは、なかなか気持ちいい。
それにしても、地味なサビである。これも狙いどおりではあるが、果たして皆さんはどう思われるのだろう。

4. 100年後



最近はキャンドルナイトと称して、夏至の日にキャンドルを灯して地球環境やエネルギー問題に
ついて考えるイベントが各地で行われているようだ。


この曲は、2008年に天理市のキャンドルナイトに招かれたときに準備した曲。


 「100年後」というタイトルとメッセージの中心は、今回ジャケット写真を担当してくれたY.B.M氏が、
本業のオーダーメイド家具で「100年先まで残る耐久性と、100年間愛され続けるデザインを目指して
製作していきたい」という思いを熱く語ってくれたことばがきっかけとなった。


ミレニアムの年の年始の挨拶に、私は「次の100年もよろしく」というカードを作ったこともあり、
「100年後」ということばの持つイメージが私を捕らえて、すぐに曲が完成した。


ギター2本が上手く絡んで、雰囲気を作っていると思う。劇的な間奏でもいれたら盛り上がっただろうけれど、
キャンドルなんで、あんまり盛り上がらないで慎ましい表現にしようと考えた。

5. Makani



Uribossa氏が、はじめてこの曲を聴かせてくれたとき、穏やかな潮風に吹かれている様な気分になった。
このやさしい曲調には特別な事情がある。


実は、ハワイアンをやっていた友人の突然の死を悼んで作られたものなのだ。歌詞にはさりげなく、
残された2人の子どもさんの名前が取り入れられている。


私は、控えめながらも、しっかり曲の輪郭を際立たせ、奥行きを与えるようなコーラスとギターを入れようと
努めた。ラストのMakaniというリフレインに向かって、自然に静かに盛り上がっていくようになっている。


Makaniは、ハワイのことばで、「風」の意味。とても美しい響きのことばだ。潮の香りや、大地のぬくもりを
感じるようなバチーダが印象的だ。

6. Chamada de amor



携帯する物なら、傘やラジオやいろんなものがあると思うが、今や「ケータイ」といえば携帯電話を
指すようになり、その機能は電話に留まらず、多機能化、高機能化が進み、現代においては生活必需品と
なっている。


ケータイの使用者も若年化が進み、依存度は高まり、コミュニケーションを便利にするためのグッズが、
逆にそれを阻害しているという問題点も指摘されるようになった。


若者はケータイを電話として使うことはあまりない。相手と直接話すより、メールを使用する頻度が
圧倒的に高い。メールと電話を比べると、メールには同時性がなく、電話に比べ双方向性が低い。


私は、電話は得意ではないが、メールはもっと苦手だ。この曲は、たとえ沈黙であっても、それを同時に
共有することによって確かに通じる何かを伝えたかった。
「もどかしさ」であっても、「ぎこちなさ」であっても、それは、受話器の向こう側に、
「今この瞬間」にリアルに相手がいることを感じるからこそ生まれるのだと思う。


電話で会話しているような曲を通して、ことばの「もどかしさ」や「ぎこちなさ」と、
根底にある「愛する人への想い」を表現したかった。

7.



娘が公立高校の受験に失敗したとき、ありきたりの慰めのことばではなく、歌をプレゼントしようと思った。
そんなことを思い立ったちょうどその日、夕方から夜にかけて雨が降り、次の朝、見事に気持ちよくスカッと
晴れたのだ。


正直に書くと、この歌を書いている時に「虹」は見なかった。この曲のイメージの源泉になっているのは、
数年前、富山での演奏を控えた午後、立山連峰を背景に見た物凄く大きな丸い虹である。


Uirbossa氏は、演奏上のこだわりから、同じコードでベース音を変化させる弾き方はこれまでにあえて
避けていたようだが、この「虹」では、雨に洗われた街を歩く少女の足どりをイメージしてプレイしてくれている。


キーは少し低めで始めて、「悲しいことなんか何もなかったように」以降のフレーズが、自然に耳に入って
くるように意図した。


ちなみに、「虹」は、旧約聖書・創世記によると、ノアの洪水の後、「再び洪水で滅ぼされることはない」という
契約のしるしである。

8. Voce ~君の声~



人は時々立ち止まり、「これで良かったのか」「これからどうするべきなのか」と自分自身に問いかける。
そんなとき、過去の自分が、自分を励ましてくれたり、慰めてくれたりもする。過ぎて来た難所を
何度も乗り越えて来た私が、歩調を乱した現在の私に力をくれるのだ。


Voceは、ラブソングではなく、そんな自分との対話の歌であることをきちんと確認出来たのは録音が
終わってからのことだ。


ヴォーカルとギターが、対話のように響き合ってくれることを願った。いろんなハモリのパターンも考えたが、
ふたりで同時に出せる音にこだわって、現在のかたちにした。ギターが中心でハモリは最小限にした。


「ボサノヴァは引き算の音楽だ」としみじみ感じる。


「あの頃の君」に顔向け出来ない明日を迎えてはならない。いつまでも透き通る瞳で世界を見つめていたい。
右肩上がりを志すS&Uの隠れたテーマソングでもある。

9. 肩寄せ合えば



ラブソングが若者だけのものである必要はないし、道ならぬ恋の葛藤を歌うものでなくてもいい。


この曲の歌詞の半分は、実は18のときに書いたものだ。(「聞き手の無い対話」という詩集に収められている。)


数年前にこのモチーフを膨らませてカントリー調の曲を付けてライブでも演奏してみたが、イマイチしっくり
こなかった。
そこで、今回のレコーディングのために、全く新しいメロディーをのせて、ボサノヴァで作り直しいうわけだ。


曲は何度も書き直したが、歌われている女性は同一人物。平たく言えば、18の時の恋人と結婚したわけである。

10. Dois Mapas



Dois Mapasはポルトガル語で「2枚の地図」という意味。
東京に同名のボッサユニットがあり、彼らと出逢ってインスパイアされた曲。


大人になると、いろいろや役割や責任を負い、いつの間にか、一番大事なものを心の奥にしまいこんだり、
忘れ去ったりしてしまうもの。


でも、もう一度自分だけの宝の地図を広げて、失敗したり傷ついたりすることを恐れないでチャレンジしてみよう
というテーマで、かつて少年だった人たちの応援歌として作った。


間奏は、ボサノヴァらしからぬ、ちょっとオールド・ファッションなイメージで、ギターを弾いてみた。
Uribossa氏とのヴォーカルの掛け合いが心地よい。

11. いのち奏でて



子どもたちのためにけっこういろんな曲を書いてきた。ここ数年は、なぜか幼稚園からの依頼が多くなり、
3~5歳以下の子供たちが、私の作った歌を歌ってくれるという幸せな経験をさせてもらった。


それこそ口伝えで私の歌を覚えて歌ってくれる様子は、まさに音楽の原初的光景である。
あどけない笑顔と歌声。本当にほほえましく、かわいくて仕方がない。どうしてこんな子どもたちを傷つけたり、
殺したりするような人間が生まれてくるのだろう・・・という気持ちになる。


しかし、そんなとんでもない親や凶悪犯も、子どもの頃は、この中のひとりのような無垢な時代を過ごして
きたはず。それが何らかの不幸な出会いやボタンの掛け違いで、罪を犯すようになったのだろう。


幼子というのは、幸せの極意を知っている。キーワードは「いのちを奏でる」ことだ。
幸せはとは何だろうと考え始めるとき、不幸が始まるのかも知れない。そんなことを思いながら作った曲。


キーワードは、「いのちを奏でること」かな。

12. 風のメロジア



タイトルナンバーで、アルバムのコンセプトを集約した曲。


音符を小手先でひねくりまわすのではなく、自然なうたを紡ぎたい。そういう願いで、
「風のメロジア(メロディ)聴き取って歌え」「波のヒトゥモ(リズム)聴き取って歌え」を歌い出しにした。


「神さま」という単語は、歌にすると重すぎるし、時として滑稽でむしろ冒涜にさえ聴こえる時がある。


それでもここは、「神さまの音楽」「神さまの痛み」「神さまの愛」ということばしかないと思った。
風や波、そして音楽や幸福は、「単なる現象」ではないと信じている。


一人の人間の力は弱い。私には大したことは何も出来ない。ささやかな歌を歌うくらいの力しかない。
でも、その歌を通して、自分が生かされている喜びや生き抜く辛さ、そして人の幸せや平和への想いを
伝えたい。心からそう願っている。